神社の創建年代は不明▼ 長尾町上津谷から移り住んだ開拓農家が産土神として当地の大歳神社の御分霊を祀っていたが 肥前国(現在の佐賀県)の浪士仲井市之丞守国が故あって当地に居住した折、当社を崇敬し自らが大願主となりて室町時代後期 永正8年(1511)私財を投じて現在の本殿を造営▼その際、伊勢の豊受大神を勧進して豊歳神社と改称したと云われています。
本殿は春日造りで覆屋内にあったため屋根・柱・組物その他細部に至るまで完存し、板壁の外側や柱・扉など全面が極彩色に飾られており、彫物では正面上部の雲龍や欄間の透かし彫り等が精巧で、向拝柱上部の組物や彫りの技法は他に見られない珍しいものと云う▼棟札に寄進者:紀守国・大工は奈良の宝田宗行・小工は藤原定行とあり、 覆屋の納まる本殿は国指定(昭和54年5月21日)重要文化財となっています。